反乱

中先代の乱

1335 · 36.17° N, 139.78° E

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記録が伝えること

時期
1335
種類
反乱
座標
36.17° N, 139.78° E

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中先代の乱

中先代の乱(なかせんだいのらん)は、建武の新政中の建武2年7月14日(1335年8月3日)、北条高時(北条氏嫡流得宗家当主で鎌倉幕府第14代執権)の遺児北条時行(推定数え7歳)が、諏訪大社上社大祝家の諏訪照雲(頼重)・時継父子らに擁立され、鎌倉幕府再興のため挙兵した反乱。鎌倉幕府再興軍は信濃国(長野県)の建武政権軍、ついで上野親王庁(鎌倉将軍府)の足利直義を破り、鎌倉の一時的奪還に成功した。しかし、征東将軍に任命された足利尊氏に敗退したことから、8月19日(西暦9月6日)に北条方は諏訪父子ら主だった将が自害し、時行も鎌倉を脱出した。戦乱の名称は、時行が先代(北条氏)と後代(足利氏)との間にあって、一時的とはいえ武家の象徴である鎌倉を支配したことから「中先代」と敬称されたことに由来する。また、鎌倉支配が20日余りしか続かなかったことから、廿日先代(はつかせんだい)の異名もある。

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